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6/12講演会より 面白エピソードバックナンバー
           1、 安東氏 昔は「しんちゃん」だった

 安東能明、、「能明」ってのは本名なんですけれども、幼稚園の頃からですね、どうも体が弱い子だから名前を変えたほうがいいって、、親戚に霊感の強い方がいらっっしゃったようでホントかどうか知らないんですが名前を変えたほうがいいとか言われて「支一(しんいち)」って変えたんです。支えるに一って書いて、小学校にはいるときに変えられたんですよ。
 だもんで地元の私時々お年忌とかで帰るとやっぱり今でも「しんちゃんしんちゃん」とかってクレヨンしんちゃんみたいに呼ばれていてそっちのほうがピンと来るんですけど、、、、、
        2、「二俣城と同じ運命をたどりそうになった 腕白安東少年」
        
 二俣城というのがあって徳川のお殿様がその守りについていたんですが、この城を落とすときに武田勢はどうやってやったかっていうと、もう多勢に無勢でわっと行ってしまえば出来たんでしょうがそれではちょっと勿体なかったのか、「兵糧攻め」にして、なおかつ天竜川が二俣城のすぐ下を流れていて水をそこからやぐらを立てて桶をひっぱり揚げて水を使っていたんですけど、それを対岸のほうから武田勢が良く見ていて、ある日この武田勢が上流のほうからいかだを組んで来てそのやぐらを壊しちゃったんですよ。 そこからもう水が二俣城に取れなくなってしまって兵糧攻めで城が落ちてしまったんですけど、そこの水をくみ上げていた所が大変なヘアピンカーブになっていましてね。
 何でその事を延々といったかというと、私らも中学校の頃にいかだを組んでですね、上のほうから
78人だったと思うんですけどいかだを組んでそこをどんぶらこんどんぶらこん、、、、流れきついんですよ。そこ乗ってきたときに丁度そのやぐらのあったとこで転覆したんですよ。
 結構大きないかだで、その下に入ってこんなになっちゃって今でも「わーどうしようか」っていうのを良く覚えていますけれどまぁそれで九死に一生を得て何とか生き抜いているんですけど
、、、
3.しんちゃんその後

私は小さいときに「しんいちしんいち」と呼ばれてはいたんですけども、戸籍上はまだ能明のままになっていたんですよ。浜松の家庭裁判所にうちのお袋が何回も足を運んできて「支一になんとか変えて下さい」って言ってたんですけどそこの裁判官がなかなか「うん」て言わなくてお百度参りをしたらしくて、でー中学にはいりたての頃にですね、その今まで支一だったものを急に親から「これからは能明にしろ」といわれて「テストとかでもこれからは書け」って言われて、アレッと思ってよくよく聞いてみたら裁判官の方に、「名前を変えてその子の人生が変わるようだったらうちの子でも変えるわい」とかって言われたらしくて、それでもとの「能明」に戻ってしまって、幼稚園から小学校の間はそのばぁちゃんの名前の「支一」っていうのに芸名みたいのでずーっと通していたんですけども、だからですね中学校入ってテストに「支一」とか書いて先生に「誰だこれは?」とか言われたことをよく思いだします。

それほど自分も子供が二人いるので、親っていうのは子供のことを思うんだなぁっていうのがいまの歳になってわかるようなんですけど

4.授賞作についてで誰も僕に質問してくれなかったトホホな会見

それで授賞式っていうのがちょっと遅れて10月くらいにあったんですよ。すごく立派なクリスタルの剣とかもらったんですけど、記者会見のときに記者会見始まりますから質問どうぞとかいわれて何聞かれるのかなと思って僕身構えたんですけど、いきなり「今年から日本推理サスペンス大賞っていうのは終わりになるらしいんですけど何でですか?」とか記者がいきなり聞き出して僕もそんなこと何も聞いていないので知らなくて「えーっそうなんですか?」とかいってその話で持ちきりになってしまって。そうですよね、高村さんとか宮部さんとかみんないるんですよ。エーって僕どうしようって僕に聞かれても判らんって、でその話ばっかり持ちきりでとうとう僕の小説の質問はひとつもなかったですね、確かひとつもなかった。僕もそっちのほうがびっくりしちゃって、エーって感じで、

5、「鬼子母神」を書いたきっかけ

 
日本で児童虐待の権威の先生から話が出たんですけど、「実は今マスコミもぜんぜん取り上げてはいないんだけれど『代理によるミュンヒハウゼン症候群』というのがあるんだよ」といわれまして、「ミュンヒハウゼン」というのは東欧のほうの『ミュンヒハウゼン伯爵』の名前から来ているとらしいんですが、ミュンヒハウゼンというのは詐病みたいなこと言うんです。詐欺の詐に病です。
 マスコミもぜんぜん触れないけど日本で凄くはやっていて深刻な問題なんだよ。保健婦も気がつかなくて本当に大変な問題なんだという話を
2時間くらい聞いて、僕も半信半疑でいたんですけど、講義の内容というのは自分のお母さんが自分の子供2歳とか35歳の子供にたいして病気を作るんですよ健康な自分の子供に。あらゆる方法で。外から見えないように、
 外から殴ったりするとすぐ虐待ってわかっちゃうじゃないですかだから分からないように、たとえば寝てるときにここにチューブとおして口から食卓塩を
1本溶かしたの全部入れるんですよ。味は分からないので入っちゃいますよね胃に。そうすると急性ナトリウム症って言う大変な症状を起こすんですけど。早い話が見えないように毒を盛るんですよ。


 お母さんは「子供が大変なことになったっ何とかして」ってお医者さんに行くんですよ。ですけど、お医者さんもわけが分からないままいろいろ検査するんですけどお母さんは子供に親身になっていいお母さんになるんですよね、そのなりきることによってお母さんは医療関係者から「あの母さんは子供を大事にしていていいお母さんだね」とかって言われてお母さん自体がプライドが満たされるとか注目されるとかで病みつきになってしまって常に子供を病気漬けにするんです。お母さんだから簡単にできますよね冬の寒いときに外にほっぽらかしておいて遊ばせておけば風引いて、薬も何も飲ませなければひどくなりますよね

簡単な芸なんですけどしょっちゅう病院にいってあのお母さんまた来たって事で病院関係者も大変だねって看護士の方から励ましの言葉をもらうとかいうことがどんどん雪達
磨式にひどくなって、抜き差しなら無いところまで行ってしまって子供がばたばた死んでいってしまうんですよ。
「漂流トラック」こぼれ話

また日通にお邪魔して偉い常務の方にお話してそのころは簡単な粗筋はできていて『日本を北海道から南下してくるような話でトラックを北海道の誰もいないような場所隠してあるトラックを持ってくるような話にしたい。』っていう話しををしたんですよ

 そしたらそこのたまたま社長さんが昔北海道の北見支店の支店長だったらしくて『じゃいいところがあるから行け!』っていうことになって飛行機で北見市にいったら北見の支店長さんが黒塗りの車で迎えに来てくれて僕が小説の題材になるようなものをリクエストしたんです、『一番人がいなくて寂しくてなお且20トン近いトラックを隠せるようなところでとてつも無く物寂しい所につれてって下さい』って


でも2泊3日ぐらいであちこち連れて行って下さったんです。
最初は野付半島というところにいったんです。ご存知ですか?確かに寂しいですよね本当に「ここじゃぁ何も無いのでトラック隠せません」とかいってですね。次に日は凄く山の中の何もいないようないところにいったんですけど打ち捨てられたような牧場があったんですけどね、


親切な方々に協力してもらって作品はできるのですね。       by草もち姫