Essay by Yoshiaki Ando![]()
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「新潟日報」の◎雨量計コーナーとして初出のエッセイ集
本人の作品へ思いや、当時のエピソード満載です。
安東 能明・作![]() 体内時計 二十年勤めていた会社をやめて、筆一本の生活に入ったのは、去年の四月だった。そして今、朝起きてから、床に就くまでの二十四時間、小説のことだけを考えて過ごす日々が訪れた。それまで休日に限られていた取材や執筆時間は、好きなときに好きなだけ使える。月初めから、たっぷり、書いたなと思ってカレンダーを見上げても、まだ、月の半ばにも達していない。これほどまでに、時間というものがあったのか、と正直言って驚いている。要するに自由なのだ。 昨年の春、新しい文学賞が創設され、それに応募しようと思ったのが会社をやめる直接的なきっかけだった。自分の年のことも考え、小説を書き続けるなら、これが最後のチャンスと覚悟も決めた。三ヶ月をかけて、『鬼子母神』と題した長編を書き上げ、幸いなことに、特別賞をいただき、今年の一月に刊行された。 実は六年前にも、さる文学賞に応募して賞を得、本となった経験があった。そのときは筆一本の生活に飛び込む自信などあろうはずもなく、世に言う二足のわらじと称する生活を漠然と頭に描いた。現実は夢に追いつかず、熱い湯が冷めるようにして小説から縁遠くなり、六年間が瞬く間に過ぎていった。 組織にしろ自由業にせよ、特定の職業に就いていれば、身も心も特定の時間帯に拘束される。過ぎ去った二十年間を振り返れば、ひたすら、この体外時計とでも呼ぶべき時空間に自分を合わせてきたことに、改めて思いがいった。 とはいえ、この体外時計のおかげで、日々の生活が成り立っていたのだ。そうした束縛がなくなり、今では百パーセント自分中心の体内時計がどっしりと生活の幹に居座った。好きなことをして暮らすという喜び半分、大丈夫かという不安半分、早くも一年余りが過ぎようとしている。これから半年、新しい時計から見た日常を切り取ってみたいと思う。 (了) |