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   Essay by Yoshiaki Ando

                            安東 能明・作
  
             敵を求めて

 はじめてニューヨークの街を訪れたのは、今から七年前の冬、一月末のことだった。折からの寒波に見舞われ、アイオワ州の片田舎から出発するはずだった飛行機が欠航となり、一日遅れで夜のケネディ空港に降り立ったときは、ほっとしたものだった。きらびやかな摩天楼を期待しつつブルックリン橋を渡ったが、マンハッタン島はすっぽりと濃霧に包まれていて、何も見ることができなかった。

 翌日、仕事をこなした後、エンパイアステートビルの展望台に上った。
霧は晴れて、クライスラービルの美しいシルエットが間近で映え、ウォール街の摩天楼がまるで生き物みたいにこの手の届くところで息づいていた。

 一人で五番街を歩いてみた。暗い、というのが第一印象だった。日本の盛り場のように派手なネオンや街路灯もなく、ショウウインドウに貼られた半額セールの赤い札が奇妙に目立った。
 靴底から受けた印象は、街というより、固い岩山の上を歩いているといったものに近かった。街全体が一つの石から彫り抜かれた高貴な芸術品のような感触とでも言えばいいのか。

 真冬の夜ということもあり、人通りは少なく、明かりに誘われるようにして入ったロックフェラーセンターのスケートリンクで、あ やうく滑って転びそうになったことを今でもよく思い出す。

 ロックフェラーは世界貿易センタービルの持ち主でもある。悲しいかな、今はもうビルそのものが存在しない。一際高く聳え立っていたツインタワーは映像でしか見れなくなった。ブッシュ政権が誕生して以来、政治の中枢に好戦的な人物が顔を連ね、わが道を行く式の政策とあいまって、それまでになかった緊張感が漂い始めた。その政治姿勢は何か、敵を求めていたかのようにも見えた。

 いつか、このような日が来るのではないか、と恐れを抱きつつ見ていた人は多かったのではなかろうか。
その予感が当たってしまい、今はひたすら悲しい。

                                                     (了)