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   Essay by Yoshiaki Ando

    2001年新潟日報に掲載しました

                                              安東 能明・作


           品揃えということ

 自分の着る洋服類に無頓着になったのはいつ頃からだろう。確かにこのあたりだという線を引くことはできないが、中学生の頃は、ズボンの形や運動着にかなり気を使っていたし、少し長じて高校生になると、学校以外で着る普段着に、ことのほか神経を使っていたのをはっきりと覚えている。

 自分のお気に入りの洋品店が二つ三つあって、店の前を通る時は必ず、吊るしてあるセーターとかシャツをチェックしたものだった。一番お気に入りの店には、ちょっと年のいったハイカラなオバサンがいて、このセーターが良いだの、少しまけてくれだのと、たわいのない話を交わすのが楽しみだった。

 結婚してからは、大体、細君が買ってくるものを着るようになり、必要な時以外は洋品店というものに足を運ばなくなった。ただし、唯一の例外がズボン。これだけは、実際にはいてみないことには、買えない。だから、二年に一度ぐらいはデパートに足を運ぶことになるのだが、これが、ちょっと億劫である。何しろ、行くたびに、二センチぐらいずつウエストが太くなっている。その上、ズボンの股下は江戸時代の武士が殿中ではく袴のようにずるずると伸びる一方で、みっともない。それを切り落として裾上げをしてもらうのだが、すぐにはできないから、後日、もう一度、店に取りに行かなくてはならない。

 つい先日も、ズボンを買うため、いやいや安売りで有名な量販店に出かけた。店内はすっきりとして、品数はさほど多くはないから、あまり迷わないで済んだ。目指すコットンパンツの棚から自分のウエストとおぼしきものを取り出して、いざ、カーテンの奥へ。はいてみてびっくり。なんとウエストもズボンの丈もぴったりではないか。私は目を丸くして、鏡に映った我が姿を観察した。まるで、自分用にしつらえたみたいだった。

 生まれ落ちて四十五年、こんなことは初めてだった。少しばかり得をしたような気分になって店を出た。ああ、気持ちよかった。

                       (了)