| 私の青春の1冊 2004年小説現代10月号掲載 井上靖『北国』安東能明 |
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| 青い縁取りのされた、その美しい本と出会ったのは、中学生の頃だった。文学全集にありがちな箱入りのいかめしいものではなく、ソフトカバーで当時の小遣いで買えたくらいだから、それなりに廉価だった。版元は中央公論社だったと思う。装丁が気に入り。芥川、太宰鴎外といった大家を、巻が出るたびに買い求め、西日の当たる畳の部屋でごろりと横になり楽しんでいた。 中でも気に入っていたのが、井上靖の巻だった。「天平の甍」と「敦煌」のほか7編の小説がおさめられていた。どれもが面白かった。人間の孤独とはこのようなものかと一合点し歴史小説を読んだことのなかった僕は、経文を満載した船が次々と難破し、海底へ沈んでいく様を思い浮かべては嘆き、乾いた砂漠で厚い友情の契りを交わす主人公たちの冒険行をはらはらしながら読んだ。 当時、山あいの小さな町に住んでいた。本を手に入れた書店は、目抜き通りから少し外れたところにあり、陰気な木造の病院の向かいに建っていた。高校生になると、自転車通学をするようになり、毎日、日が暮れるまで砂まみれになって軟式テニスのゴムボールを追いかけ、小汚い部室で制服に着替えて自転車に飛び乗り、その書店に立ち寄るというのが日課になった。 町の大きさにそぐわぬほど、売り場は本でぎっしりつまっていた。漫画を読み出した小学生の頃からのつきあいだから、書棚は、隅々まで今でもよく覚えている。外国作家の棚には難しそうな書名の単行本がずらりと並んでいて、そこに足を踏み入れるたび息が詰まるような思いがした。当時の書店は坪当りに置かれている本の密度がひどく濃かったように思う。 店の奥まった場所にあるレコード売り場と併設して、文庫の棚が並んでいた。そこでお気に入りになった作家の本をさがしていると、ひどく薄い1冊の文庫が目にとまった。それが井上靖の詩集「北国」との出会いだった。ことさら、詩というものに興味があったわけではなかった。しかし、どうしたことか、この詩集はしっくりと肌になじんだ。愛の激情とか人間の不条理といったものとは無縁の詩がほとんどで、そこに描かれているのは、列車の中で見た旅人の姿であったり、ふと差し込んでくる過去の追憶の断片であったりする。詩というよりも優れた短編小説を凝縮したものを味わうような感慨を読むたびに覚えた。 あこがれて入った大学はどこもかしこも、学生紛争の宴の跡。事務室は破壊され、抗争で血の跡が転々と廊下についていた。さんざん荒らされて、すさみきっていたキャンパスはやがてロックアウトで封鎖され、学内に入ることも許されなかった。幻滅を通り過ぎて、いっそのこと清々した。アルバイトに明け暮れ、雑多な小説を読むようになっても、折にふれて読み返すことが多くなり、わけてもそこに描かれた絶望にますます惹かれるようになった。 『北国』に導かれるようにして、井上靖の書いたほかの詩集にも手を伸ばした。『季節』には、ロシアのバイカル湖畔にあるニコーラという村を詠った詩があり、当時、ふと手にした文芸誌には、著者がロシア極東のハバロフスクを訪れた際、裏町の小さい広場で声をかけた老婆から、かの榎本武明とこの場所でであったという話しを聞かされる幻譚めいた詩が掲載されていた。二十歳になった夏、日ソツーリストビューローという旅行社が出した『シベリヤへの旅』と題された新聞広告に飛びついてしまったのは、この二つの詩のせいだった。 当時、ソビエトを一人旅するような酔狂な人間はほとんどいなかった。横浜から船に乗り2泊3日の行程でナホトカへ渡った。ナホトカからシベリヤ鉄道でハバロフスクを目指した。船と鉄道を通じて、ソビエト各都市へ演奏活動に向かう寺内タケシとブルージーンズ一行とずっといっしょだった。メンバーの方々とすっかり打ち解けて、寺内さんとは船のバーでビールをごちそうになり、身の上話めいたことを話した覚えがある。ハバロフスクで別れて一人きりになったとき、さすがに心細かった。 ツーリスト側は僕一人の出迎えに、駅まで大型バスを差し向けてきたりして驚かされた。その晩、早速アムール川に出てみた。夏というのに、川岸はすっかり秋の風情で泳ぐ人の姿はなく、もちろん、老婆も見かけなかった。 バイカル湖への旅はイルクーツクから車しかなく、ちょうど、ハワイから来ていた夫婦とタクシーを借り切り、1日がかりで往復した。バイカル湖畔のレストランで名物の魚、オームリのフライを食べて帰路、ニコーラという村を探そうとした。運転手に聞いてもわからず、アンガラ川の対岸にあった小さな村を勝手にニコーラと決めつけた。初めての海外旅行にどうして、こんな場所を選んだのか。『北国』を手にしていなければ、別の場所を選んでいたのはまちがいないと今にして思う。 |