ホームに戻る

  INDEXに戻る

   Essay by Yoshiaki Ando

                                              安東 能明・作



        プチ独裁者

  
 かの国の国家元首はシベリア鉄道を私物化して、ひと月に及ぶ時代錯誤も甚だしい大外遊をやってのけた。旅行者はおろか、沿線住民のこうむった不便さは想像するに難くない。こうした蛮行がまかり通ってしまうのは、ひとえに独裁者という奇天烈な生き物が、未だ、この世に存在しているからに他ならないのだろう。


 この生き物は、自分の嗜好に合ったもの以外はすべて異端とみなして切り捨てるという癖がある。天の中心に座するのは絶対的な自分であり、経世をふるうべき民というようなものは存在しない。そのまわりには、ただただ肯んずるを良しとする役人がはべるだけである。もう、五十年も昔に息絶えたとされる生き物だが、世界は広いもので、まだ、かなりの数が生き残っている。さて、この独裁者という生き物、民主主義全盛を誇るわが国では、完全に絶滅してしまった種であろうか?

 答えはイエスである。完全無欠、強権無比の独裁者はすでに存在していない。これは事実である。ただし、例外はある。官民問わず、富と権力の集まるところには、かなりの確度で、ミニチュア化した独裁者が散見できる。彼らは組織の中枢、あるいは末端レベルにおいても、連綿と生き延びているのである。
 
 外務省の外交機密費問題で存在が知れ渡ったM元室長もこの亜種であり、典型的なものを見ることができる。ひたすら権力者たる上役の鼻息を窺いながら、着々と懐中に財貨を貯め、部下に対しては時として猛烈な激昂を飛ばし、有無を言わせない。しかし、一皮剥けば、その実、汲々とした小心者であり、鼠一匹殺せない臆病者であることが多く、しかも、自分がそうであるとは気づいていないからひたすら厄介である。こうした人物が時として重要な地位に祭り上げられることが多いものも困った事実である。

 皆さんのまわりにも、おりませんか? プチ独裁者。ああ、恐ろし。
                                              (了)